長崎市観光地一覧
和・洋(オランダ・ポルトガル)・中(中国)の混在がおりなす長崎独自の雰囲気や食事、歴史的な名所旧跡等をお楽しみ頂けます。 平和の尊さをを感じさせる史跡の数々も多数ございます。
- 大浦天主堂:1864年、我が国最初の殉教者となった26聖人の霊をまつるために建てられたもので、現存する日本最古の木造教会。昭和8年に国宝に指定されました。
- グラバー園:国指定重要文化財のグラバー邸、国指定文化財のリンガー邸とオルト邸。周囲を水と緑あふれる美しい庭園に囲まれた、異国情緒漂う観光名所です。
- 出島オランダ商館跡:出島は、ポルトガル人を隔離するために江戸幕府が造らせた面積約1万3千m²の扇型をした小さな人工島でした。現在は資料館やミニ出島などが完成し新たな観光名所となっています。
- 浦上天主堂:赤煉瓦を積み上げ、33年の歳月をかけて完成した東洋一の教会。原爆で崩壊後、昭和34年に再建され、戦火を免れたアンジェラスの鐘が、今も平和の祈りを清らかに鳴らし続けています。
- 長崎原爆資料館:原爆投下の経緯や被災資料、核兵器に関する写真や模型を展示した資料館で、世界の反核運動や人権問題についても強いメッセージを発信しています。
- 原爆落下中心地:昭和20年8月9日、11時2分。原子爆弾が、この上空約500mで炸烈しました。中心碑には色とりどりの千羽鶴が今も絶えることなく、平和のメッセージを伝えています。
- 平和公園:天を指す右手は原爆の恐ろしさを、水平に伸ばした左手は平和を、閉じた眼は原爆犠牲者への冥福を、長崎県出身者の故北村西望の平和祈念像が永久の平和を願っています。
- 山王神社の一本柱鳥居:爆心地から近距離にあった山王神社の鳥居は、爆風で半分がもぎ取られてしまいました。現在も原爆の惨劇を乗り越えた当時のままの姿で立っています。
- 如己堂:原爆による白血病に苦しみながらも被爆者の救済や平和活動を続けた永井隆医学博士の記念館。「この子を残して」「長崎の鐘」等の著書は広く外国にまで平和を訴えました。
- 孔子廟:中国人が国外に建てた唯一の廟で、72賢人像が立つ広場やきらびやかな屋根飾りは壮観。奥にある中国歴代博物館には、国宝級の皇室芸術品が常時展示されています。
- 長崎歴史文化博物館:我が国有数の「海外交流史」をテーマとした「楽しい」「わかりやすい」「新たな発見がある」博物館で、独自の歴史をもつ輝きに満ちた長崎の姿を見ることができます。
- オランダ坂:開港当時、長崎では西洋人を「オランダさん」、居留地の石畳を「オランダ坂」と呼んでいました。東山手・南山手の石畳は特に風情があり長崎を代表する景観のひとつです。
- 崇福寺:朱色の竜宮門が美しく、中国文様の贅をつくしたこの寺は、長崎の唐四寺のひとつで、寛永6年に福州出身の唐人達が僧超然を招いて建立したものです。(国宝)
- 新地中華街:シンボルである中華門の四方の門の向こうには、本場中国仕込みの中華料理店をはじめ、お菓子・雑貨・衣類に至るまで中国文化がいっぱいです。
- シーボルト記念館:わが国の近代学問の礎を築いた彼ゆかりの鳴滝塾は、現在シーボルト邸跡が残るのみ。6月頃になると彼が愛した「おたくさ」(アジサイ)の花が咲き誇ります。
- 眼鏡橋:日本最初の2連アーチ式石橋。昭和57年の長崎大水害で半壊しましたが復元され、公園とともに市民の憩いの場として愛されています。(重要文化財)
- 日本26聖人殉教地:1597年2月5日。6人の外国人宣教師と、幼い子供を含む20名の日本人がこの地で処刑されました。資料館ではキリスト教徒の苦難の歴史を紹介しています。
- 坂本国際墓地:この墓地には、トーマス・グラバーや、永井隆・緑夫妻をはじめ、中国・ポルトガル・フランスの人達が眠っています。